さめさま

20歳/自分用に書いているので誰かに見られたら恥ずかしい文面

コミュ障によるコミュ障のためのなにか

最近コミュニケーションについて思うことが増えたのでここに書くことにしました。
面白い話でもないし無駄に長いので興味のない人は開かないでください


これを読む人の中には知ってる人も知らない人もいると思いますが、わたしは「コミュニケーション障害(以下コミュ障)」を小さい頃から抱えています。
コミュ障についてよく知らない人もいるかもしれませんが、まあ、簡単に言えば人と上手く話せないということです。

そのせいでなかなか友達ができなかったり、できたとしてもそれが原因で嫌われる。幼稚園児でもできることがハタチにもなるわたしにはできない。悔しくて悔しくて、何度も自分を責めながら生きてきました。
ですが最近、なんとなく気付いたことがあるんです。

 

「会話のキャッチボール」という有名な言葉、あれ最初に言った人は天才。

 

コミュ障な人はコミュニケーションにおける運動神経的なものが鈍いんです。

体育の授業を思い出してほしいんですけど、どんなボールでも走って跳んでキャッチしちゃう人もいれば、ボールを怖がってキャッチできない人っていましたよね。コミュ障にとってはコミュニケーションにおいてもあれが起こる。受け取れない。受け取ろうとしても運動神経的なものが追いついてくれない。

これはもう、人によって運動神経に差があるように、コミュニケーションもそうだと思ってくれればありがたいです。

相手に対して申し訳ないと思うことがよくあります。せっかく話してくれてるのに上手く返事もできなくてごめんね…

 

だがしかし

ちょっとこちらにも言い分はございまして。

よく遭遇する困った案件
「どうして話を聞いてくれないの?」
「どうして(LINE等で)返信くれないの?」 って怒る人。
これに対するこちらの言い分をキャッチボールで例えるとですね、

「返すもなにも、そもそもあなたのボールはキャッチできない」

キャッチできないというのは拒否の意味ではありません。不可能の意味です。
はっきり言います、そう言ってくる人、決まってボールを投げるのがめっちゃ下手なんですよ。そこそこのボールを投げてくれる人に文句はありません。キャッチするのが下手な自分が悪いですから。

だけどたまにあまりにも下手な人がいる。相手が取れるはずのない場所にビョイーンって投げてくる。そしてこっちがポカーン(゜д゜)としてると怒りだす…怒られてるこっちは完全に訳が分かりません。下手なボールを投げてくるそっちが悪いのに…責任転嫁もいいところです。


こういう案件に遭遇する度思い出すのが、高校のときに受けたバトミントンの授業のこと。
わたしはコミュ障なうえに運動神経も悪い。そんなわたしがバトミントン歴約10年の子と打ち合いの練習をすることになりました(試合ではなくラリーを続ける練習)。わたしはド素人で相手はプロ。実力が釣り合ってるはずはないのに他の人と練習したときよりもラリーが長く続いたんです。
なぜかって、その子は長年練習してきた実力で、素人のわたしでも返しやすい位置に打っていてくれたんですよね。
これたぶんいろんな人が経験したことあるはず。もちろんバトミントンじゃなくてもテニスだろうが卓球だろうが何だっていいのですが…
コミュニケーションが本当に上手な人というのは、当たり前にこれが出来る人のことを言うのだと思います。会話をするときは、相手が受け取れる範囲の発言をする。受け取れる範囲というのは、相手にとってある程度興味のある話、もしくは知識のある話…あたりの意味です。

 

そんな当たり前のこともできないくせにボコボコ有り得ない方向に投げてきては一方的に怒ってくる人。終いに「あの子はわたしのボールを返してくれない!」「運動音痴」と騒ぎ出す始末。
コミュニケーションに置き換えると、こっちが微塵も興味のないことや知識がなくて返事のしようがないことをベラベラと話してきては、こっちがスルーすると怒り始める。そして「あの子はわたしの話を聞いてくれない」「コミュ障だ」と言いふらす。

 

ンンンンン理不尽!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!理不尽すぎるッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ただのいじめでは!?!!!!!?!?!?
いじめです。目に見えない暴力と言っても過言ではない。

 

 

近年コミュ障という言葉が飛び交うようになって、クラスや社内など一つのコミュニティに必ずと言って良いほどコミュ障の人が一定数存在するようになりました。そしてその人たち(わたしもそのうちの1人)は問題のある人として扱われてしまうわけですが、さてこれまでの話を踏まえて、本当に問題のある人は誰だったのでしょう?

わたしは悪くない!コミュ障なんかじゃない!と言いたいわけではありません。この障害を、こちらからの視点を理解してくれと言っているわけでもないです。

ただ覚えておいてほしい。

相手とのコミュニケーションに違和感を覚え、相手にコミュニケーション障害の可能性を感じたと同時に、自分自身にもその可能性が生まれているということを。